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早稲田大学「医学部」の新設はどうなる?

早稲田大学「医学部」の新設はどうなる?  1922年、慶應義塾大学(以下、慶應)とともに日本初の私立大学となった早稲田大学は、今も昔も「早慶」と並び称される日本の私学トップの一角を占めています。東京帝国大学(以下、東大)など当時の帝国大学と伍する存在となるべく、東京専門学校の時代から教育設備の拡充と組織の改編を矢継ぎ早に行い、ユニバーシティの名に恥じない日本有数の規模を誇る大学に成長しています。その早稲田大学の学部・学科を見てみると、社会科学・人文科学・自然科学のほか、総合科学という早稲田大学の「ボーダレス」を象徴する新しい系統の学部・学科も開設されており、その編成はバラエティーに富んでいることがわかります。

しかしながら、そのユニバーシティ・早稲田大学であっても、大学の発祥地、中世ヨーロッパで大学の3大学部のひとつとされていた伝統の学部「医学部」の新設が今なお実現していません。ライバルの慶應と東大には、戦前から医学部が存在するほか、医療関係の学部としては、東大に薬学部が、慶應に至っては薬学部と看護医療学部が設置されており、両校は、医学の分野でも日本のトップレベルにあり、日本の医学界に多大な貢献を果たしています。ハーバード、エール、オックスフォード、ケンブリッジといった世界の名門大学も医学部を擁する中、早稲田大学が名実ともに世界の大学の一つとして認められるためにも、医学部はあったほうが望ましいと言えます。
早稲田大学「医学部」の新設はどうなる?  早稲田大学に医学部を新設しようという動きは、これまで何度かあります。かの大隈重信も医学部の重要性を認識していましたが、政治家の養成を優先するあまり、政治経済学部を先に設置したことは有名な話です。その後、自然科学の系統では、理工学部の拡充に力を入れることとなり、医学部設置構想は下火になっていきます。

その後、1961年に国民皆保険が実現するなどして、病院を利用する患者の数が急増します。そのため、すべての都道府県と政令市に医大または医学部を配置するという国の方針により、70年代初頭からの約10年の間に、国公立・私立を問わず、多くの医大と医学部が新設されます。

とはいえ、他の有力医大の買収も模索していた早稲田大学には、この時も念願の医学部が誕生することはありませんでした。慶應の医学部OBでもある当時の日本医師会会長が政治的な影響力を行使したという話もあるようですが、いずれにしても、この70年代のチャンスを活かせなかった早稲田大学は、医学部不在の長い時期を過ごすことになります。70年代の新設ラッシュの反動で医師過剰を見越した国は、1981年の琉球大学医学部を最後に、医大と医学部の新設を許可していません。

医学部構想を一旦断念した早稲田大学は、医学部に代わる学部として、健康や生命といった医学関連の科目を擁する人間科学部を1987年に開設します。さらに、2000年代後半には、東京女子医科大学や神戸大学医学部との共同研究を始めたり、先進理工学部生命医科学科を設置したりするなど、医学部を新設しない形で医学系の分野に進出するようになります。

こうした中、2011年には早稲田大学「医学部」の新設が再び動き出します。医師不足に悩む茨城県が笠間市の県畜産農業試験場の跡地にこの新学部の誘致を表明し、この翌年には、茨城県議会が賛成多数で誘致の決議案を可決しています。少子高齢化などに伴う地方での医師不足が表面化し、医大や医学部を新設しようという機運が高まりを見せる中、早稲田大学「医学部」という長年の夢が今度こそ実現するのではないか…事態は予断を許しませんが、今後の推移を見守っていきたいところです。

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