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早稲田大学の誇る文化施設・文化遺産

早稲田大学の誇る文化施設・文化遺産  東京専門学校以来の伝統を誇る早稲田大学には、その長い歴史を物語るかのように、「大隈講堂」「大隈庭園」「大隈家馬丁小屋」「會津八一記念博物館」「早稲田大学図書館」「坪内博士記念演劇博物館」といった多くの文化施設や文化遺産が残されています。

早稲田大学といえば大隈講堂、大隈講堂といえば早稲田大学と称されるほど、1927年に完成した大隈講堂は、早稲田大学のシンボルとして余りにも有名です。銅像の大隈重信が直立不動でこの建物を見つめる場面やその時計台を斜め下から仰ぎ見る場面は、大学受験の情報誌やサイトなどでもおなじみです。1922年に逝去した大隈重信の業績を記念するために建造され、その時計台の高さは人生125歳説を唱えた大隈重信にちなみ、125尺(およそ38m)に設計されています。その外観は、スウェーデン・ストックホルムの市庁舎からも着想を得ているとされ、ヨーロッパ式の瀟洒なデザインと外壁の穏やかな黄土色がレトロな存在感とアカデミックな雰囲気を醸し出しています。中に入ると、米国から輸入された4基の鐘が時計台に鎮座し、ウェストミンスター式の味わい深いハーモニーを今日も響かせています。また、客席の天井には楕円の天窓が備え付けられていますが、宇宙を表すこの窓には「世界の融和」という理念が込められています。1999年に東京都歴史的建造物(第1号)に選定された後、2007年に国の重要文化財に指定されています。

その大隈講堂の裏手には、敷地面積1万坪の大隈庭園が広がっています。ここにはかつて、彦根藩の井伊家や高松藩の松平家の下屋敷が軒を連ねていましたが、この地を買い受けた大隈重信が庭園付きの私邸を構えたのがこの庭園の始まりです。東京都心とは思えないほどの静寂さと緑の豊かさ、四季折々の草花の美しさ、古い東屋の詫び寂びが訪れる人たちの心を癒してくれます。

大隈講堂の正面から見て左側を見ると、切妻屋根の可愛らしい白壁の小屋がぽつんと立っています。この明治前期に建てられた大隈家馬丁小屋は早稲田大学に現存する最古の建物です。現在は、大学の総合案内所として使われています。
早稲田大学の誇る文化施設・文化遺産 その大隈家馬丁小屋に次いで古い建物が1925年に完成した旧図書館の建物ですが、この建物は、1998年に會津八一記念博物館としてリニューアルされます。歌人や書家としても著名な會津八一は早稲田大学を卒業後、文学部の教授として東洋美術史の研究に没頭し、数多くの美術品や考古資料を収集しています。その會津コレクションをベースに開館したこの博物館は、2004年に東京・大田区の富岡美術館(閉館)から重要文化財を含む美術品の寄贈を受けるなど、所蔵品の充実をはかっています。ちなみに、旧図書館の建物もストックホルムの市庁舎を参考に設計されており、そのアカデミックな洋風建築も貴重な文化遺産となっています。

旧図書館の建物が図書館としての役割を終えるのに合わせ、早稲田大学は、1991年に完成した総合学術情報センター内に中央図書館を開設します。中央図書館は、日本の大学図書館として最大規模の蔵書数(500万冊以上)を誇る早稲田大学図書館の中核を成しています。この中央図書館のほか、各キャンパス内の図書館、各学部の学生読書室や教員図書室などを合わせて、早稲田大学図書館と称します。東京専門学校と同時に設置された早稲田大学図書館は、開設当初から文化資料の収集に努め、2点の国宝と5セットの重要文化財を含む貴重な文化資料が数多く収蔵されています。

16世紀イギリスの劇場、フォーチュン座を手本に設計された坪内博士記念演劇博物館は、早稲田大学で教鞭を取っていた坪内逍遥の古希と彼の手がけた『シェークスピヤ全集』の翻訳完成を記念し、1928年に開館しました。日本で演劇を専門に扱う唯一の博物館として有名です。正面玄関の脇には右手を差し出す逍遥の像があり、受験生が彼と握手すると早稲田大学に合格するという言い伝えがあります。クリスマスの時期にはその正面玄関に大きなツリーが飾られ、夜のしじまにライトアップされるこの建物の幻想的な姿に異国情緒を感じないではいられません。1987年に東京・新宿区有形文化財に指定されています。

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